2006年11月11日

僕たちが作るもの

システム屋として僕たちが作るものは、お客さんが使うものだ。
これは当たり前のこと。
だから、提案するときも、作っているときも、お客さんの業務のことを
考えてものづくりしている。
これも当たり前のこと。

ところが、今一緒に提案・開発をしている人の中には、その視点が全く
ない人が混じってしまっている。
つまり、完全に作り手の都合だけで、物事を考えようとしている。
そこにはお客さんの視点はない。

僕としては、どうせ作るのなら、お客さんが満足してもらえる、そして
長く使ってもらえる物を作りたい。だから、そういう人が混じっている
ことはとても歯がゆいことだ。
しかも、そんな人があるパーツの責任者になってしまっている。
毎日、フラストレーションが溜まっている。どうも血圧も上がり気味。
もしも僕が経営者や人事権を持っていたら、その人には退場願いたい
ところなんだけど、そうも行かないのが、組織の辛いところだ。
posted by nob at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月07日

司令塔

仕事、スポーツ、そのほか組織で動くとき、司令塔の役目は大きい。

身近なところで、火の車になっているプロジェクトがある。
要員はそれなりにいる。
プロジェクトの内容を聞く限り、そんなボリュームは感じない。
ただ感じることは、司令塔が誰だか見えないということ。

司令塔がいないと、個人個人の無駄な動きが多くなってしまい、
注力しなければならないところで、体力を割けなくなる。
そして、泥沼にはまる。

こういうときに司令塔がいて、的確な指示を出せば、組織として
統一感のある行動を起こせる。そして、効率よい動きが取れる。
当然、火の車に陥るリスクも減らせる。

国家、野球、サッカー、会社・・・
もし物事が正常に動いていないと思うとき、司令塔が不在か機能
していない可能性が高い。
僕もそういう状況に置かれたとき、しっかりとした働きができる
ように勉強しておかないと。以前、結構苦しんだから。
posted by nob at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月16日

アンテナの高さ

現在、僕は諸般の都合上、よそ様の組織の中で働いている。そんな生活を丸3年過ごしてきたのだけど、そこで感じたことがある。

それは、「アンテナの高さ」だ。

その組織にはMさんとIさんという2人の社員がいる。しかし、この2人腰が重い。他の部署との交流も積極的にしないし、話が来てもすぐに突っぱねてしまう。そうなると、ますます周りとの壁が高くなる。

僕は周りとの壁を高くして孤独に生きることなんて寂しいと思っているので、他の部署に人たちとの情報交換を積極的にやっている。やり過ぎて怒られることもあるが、情報交換をする中で仕事を見つけることは楽しい。

先日、打ち合わせの場で、公にはなっていないけど、誰でも知っていることについて話題に上がった。MさんとIさん以外はみんな知っていたので、話が進もうとしたのだけど、Iさんが突然口を挟んだ。

「えっ、何ですか?私は知らないのですが。なんで教えてくれないのですか?」

他の人たちは、あっけに取られてしまった。その話は改めて教えて上げられるような種類の話ではないので、他の部署の人たちとの情報交換のなかで仕入れるしかない。つまり、ちょっとアンテナを張っていれば自然と引っかかってくる類のもの。しかし、MさんやIさんは周りとの壁を高くして、アンテナを張っていないのでそうした情報に触れることはなかったようだ。

どんな仕事をするにしろ、情報をいかに集めるかが鍵になってくる。それは、ただ椅子に座っているだけで得られるものでもない。原始的かもしれないけど、普段からアンテナを高く張って、周りと情報交換するしかない。

それができない人が組織で存在すると、ボトルネックを抱えることにもなり、組織全体の業務効率を落とすことになる。MさんやIさんのいる組織では、リストラされることがないので、MさんやIさんが壁の代わりにアンテナを高く張るようにしない限り、組織の業務効率は改善されない。

これは人に教えられてできるようになるものでもないので、何とかきっかけを掴んで、アンテナを高く張るようにして欲しい。そうすれば、仕事も楽しくなると思うのだが(今は本当につまらなそうに仕事をしている)。
posted by nob at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

「シカる」と「オコる」

先日の日経新聞の記事で「シカる」と「オコる」の差についてのコラムがあった。

そこでの定義。
・オコるというのは、部下の失敗の責任が自分にとんでくるとオビえて、反射的にその部下に対する憎しみを露骨にあらわすこと

・シカるというのは、失敗してもその部下を見限らず、潜在している能力をさらに引きだしてやろうという愛情があること


言葉の使い方は人それぞれかもしれないけど、ここで言う「オコる」という行動と「シカる」という行動の違いは日常感じることがよくある。

身近な人物「W」は「オコる」ことしかできない人。ひたすら自分の保身のみを考えているのだけど、「オコる」ことばかりしている。そのため、部下には見限られ、上からも信頼されなくなり、かえって自分の身を危うくさせている。見事なまでの悪循環に陥っている。

以前の上司「T」はうまく「シカる」人。たとえ部下が失敗しても、「シカる」ことはするが、仕事を奪うことはしない。再びチャンスを与えてくれ、下を伸ばしてくれる。さらに、部下の失敗についても「任せた側にも責任がある」として、一緒に責任をとってくれる。そのおかげで、部下からは信頼され、部下はどんどん育っていく。そして「T]自身は自分の負担を減らすことができ、上からも信頼される。こちらは「W」と違い、好循環を生み出している。

人が失敗したときの接し方ひとつで、自分自身の環境をよくも悪くもできてしまう。「シカる」というのは短期的には自分にもリスクがあるけど、長期的に見たら「シカる」相手にも自分にもプラスになる。
これからの自分自身の行動にも気をつけたい。

今回のコラムを読んで、そんなことをふと考えた。
posted by nob at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月14日

生き残れ

ikinokore_02.jpg

今晩NHKで放送されたドラマ「生き残れ」を見た。

話は、マラッカ海峡で日本船が海賊に襲われ、海賊の一人と乗組員13人が11日間漂流する様子を描いたもの。極限状態での人間の葛藤がシンプルに描かれていて、興味深かった。

これを見ながら考えていたのは、自分の身近な組織のこと。組織の中で生き残るためには、きれいごとだけでは済まされない。でも、踏み外してはいけない一線もある。

ドラマの中で怪我を負って高熱を出し、死にそうになった船長に水を与えるかでもめるシーンがあった。きれいごとだけの世界だったら、そこで水を与えればいい。けれど、そこで余計な水を与えてしまっては残りの13人の命を削ることに繋がる。漂流者全体のことを考えたら、ここでは思い切った、ある意味冷徹な決断をするしかない。

かといって、人を殺し始めてはキリがなくなる。ドラマ中も、海賊を殺してしまおうというシーンがあったが、そこでの船長の台詞が心に残った。「要らないからといって、一人殺すと要らない人間を探して次から次へと殺していくことになるぞ」。

一人一人が自分勝手なことをせず、組織全体にとって何が最適かを考えながら行動する。GWのOBS活動中もよく考えていたテーマだけど、これって本当に難しい。ドラマみたいに外から見ているのと、実際に自分が当事者になるのでは全然違う。実際に経験を積んで体得するしかない。

そう考えたとき、今の自分の置かれた状況はどうなんだろうか?はっきり言って、「ぬるま湯」の中にいると思う。その「ぬるま湯」を刺激あるものにして自分を鍛えるためには、中から変えるか、外から変えるか・・・。いろいろと考えてしまった。
posted by nob at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。