2007年12月25日

中米の旅 〜 その7 Hotel Montelena

かめちゃんと久々に出会って向かった宿は当初のところと違っていた。
Pension Tucanに泊まる予定だったが、どうも宿の人が誰もいなかった
そうで、バス停の目の前のHotel Montelenaに変更になった。
まあ、1泊8ドルだし、安いから問題はなかった。

到着してすぐに翌朝のツアーの申し込みをした。
何しろ8時までに予約しなければならないそうで、時間がギリギリだった。
ここで、翌日の予定とその後のフォルトゥーナまでの移動、宿、ツアー
まで予約した。
現金払いで、160ドルを一気に支払った。
カードが使えると踏んでいただけに、用意していたドルのキャッシュが
ほとんどなくなってしまった。

ちなみに、翌日の予定は、朝6時からCloud Forest Guided Tour、
12時半からAventuraという会社のCanopy+Bridge Tour。
そう、朝が結構早い。

予約が終わり、食事に出かけた。
出かけたと言っても、雨が降っていたので、ホテルの隣の食堂に入った。
モンテベルデはコーヒーの産地でもあるそうなので、コーヒーとチキン
チャーハンを食べた。やっぱりここも油っぽい。
どうも話を聞くと、コスタリカの料理はどれも油っぽいそうだ。
だから、肥満の人も多いとのこと。
確かに、コスタリカに入国してから、「なんでこんなにみんな太っている
んだろう」と不思議に思っていたのだけど、納得した。
空港、市内、バスの中、明らかに太り過ぎという人が本当に多かった。
でも、油っぽい料理が2連発で出てくるし、しっかりと原因もあったのだ。

腹を満たし、コスタリカの食事の相場も教えてもらい、ホテルに戻った。
久々の再会だったので、いろいろと話をしたが、さすがに翌朝も早いので
早めに寝た。
ちなみにこのホテルのシャワーは冷たい水だった。
(続く)
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2007年12月24日

中米の旅 〜 その6 モンテベルデへ

バス停に着くと、ちょうど車内に乗り込む時間だった。
荷物を預け、車内へ。
最初は自由席だと思ったのだけど、チケットをよく見ると、座席番号が
書かれていた。
僕の座席番号は6番。前から2列目だった。

隣に座っていたのは、サンフランシスコから来たBill。
カルタゴで開かれていた会議に参加していたようで、帰国する前にちょっと
旅行しようということだった。
Billはスペイン語がかなり話せるようで、周りの人たちにも積極的に
スペイン語で話をしていた。
僕には残念ながらスペイン語を話せないため、英語で話してくれた。

バスは全部の5時間の行程だった。2時半にサンホセを出発して、到着が
7時半。かなりの道のりだ。
途中、4時半頃に休憩があった。
何とも大胆なトイレがあるレストランで休憩した。
ちょうど夕暮れ時で美しい夕焼けを見ることができた。
コスタリカに入国して10時間弱、かなり緊張していただけに、この
夕焼けを見て、かなり落ち着いた。そして、「来てよかった」とも思った。

休憩が終わり、再び出発すると、もう真っ暗な世界になった。
車内も電気が消されたので、本当に真っ暗。
Billがガイドブックを読みたがっていたので、ヘッドランプを貸してあげた
ほど暗かった。
しかも、最後の2時間弱は舗装されていない道が続いた。
驚いたことにこんな真っ暗なところでも、途中下車する人たちがいる。
実際に民家があるのだけど、よく自分が降りるところがわかるなあと
感心してしまった(さらに、降ろしてもらうところが自分の家の前だったり
するから、それまた驚いた)。

そして、午後7時半。とうとう、目的の町サンタ・エレーナに到着した。
ここのバス停で、かめちゃんと待ち合わせをしていた。
バスが止まって、外を見ると、かめちゃんがいた。
よかった。待ち合わせ成功だ。結構不安だったから、うれしくて、窓を
コンコンと叩いて、到着を知らせた。
(続く)
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中米の旅 番外編A言葉

旅先で一番やっかいなのが、言葉だ。
僕たちが日常使う日本語が通じるのは、成田空港まで。
日系の航空会社に乗らない限り、飛行機に乗った瞬間、日本語は通じなくなる。

日本語が通じなくなって、頼りになるのが英語だ。
多くの国で英語は通じる。
特に今まで僕が旅して来た国々では広く通用していた(韓国を除く)。

ところで、今回、僕が旅したコスタリカとニカラグア。
この2つの国の公用語はスペイン語。
そして、コスタリカはまだしも、ニカラグアでは英語はあまり通用しなかった。
当然のことながら、僕は困った。
空港で警察の質問に答えられなくて、取調べの部屋に連れて行かれたときなどは
足が震えた。
ホテルで部屋の電気が壊れていることを伝えたり、周辺のレストランを
尋ねるのに、ボディラングエージを駆使しなければならなかったときは
本当に骨が折れた。

でも、よく考えてみると、僕が悪い。
英語は彼らの言葉ではない。
彼らの言葉はスペイン語だ。
英語をしゃべらなければならない義務はない。
(ただし、サービス業としてで考えれば、英語をしゃべることも必要かと
思うけど)
そして、僕がスペイン語をしゃべれないのが、そもそもの原因だ。

苦労しながらコミュニケーションをとったのは、今となればよい思い出だ。
いつになく僕は真剣だった。こんなに必死に何かを伝えようとしたことは
そうそう経験したことがない。
相手も真剣に答えてくれたことが多かった。
そういう意味では中身の濃いコミュニケーションが出来たかもしれない。

とはいうものの、深いコミュニケーションは生まれなかったし、英語を
話せる人以外とのコミュニケーションは、必要に迫られない限り、生まれ
なかった。
これは歯がゆいことだ。
旅の醍醐味を満喫できなかったということだからだ。

やっぱりどこを旅するとき、その国の公用語をある程度話せることは
大切なことだと思う。
当然、世界の標準語としての英語は必要だ。
でも、コミュニケーションの制約を外すためにも、公用語を話すことは
欠かすことの出来ない要素だ。

僕はまた中米を旅したいと思っている。
だから、スペイン語を片言でもしゃべれるようになりたい。
今までもスペイン語を勉強しようと思ったことはあるが、今回は身にしみて
その必要性を感じた。
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2007年12月23日

中米の旅 番外編@「現実」

ニカラグアで見たもの。
それは、今まで僕にとって、「テレビの中の現実」だった。
分かっているつもりではいた。でも、今思うと別世界に思っていた。

信号待ちで生活費を稼ぐ人たち、とたんで張り合わせたような家が集まる
集落(しかも、そんな集落が主要道路沿いに点々としている)、子供を
養うために海外で不法就労する親、低年齢で出産する女性、何ヶ月経っても
ハリケーンの爪痕が残る土地・・・。

こうしたことは、断片的にはテレビや雑誌を通じて知りえていることだ。
しかし、自分の目で見て、空気を感じて、これらの事象を連続したもの
として捉えると見える世界は変わってくる。そして、本当の「現実」になる。

でも、不思議なこともある。
こんな状況で生活している人たちの目は真剣だし、笑顔は本物だった。
とたん集落から出てきた少年の笑顔を車から見たときは、微笑ましい
気分になったし、僕が数日間で出会った人々の目には力が入っていた。
確かに大人たちはそんなに笑顔を出す余裕がないようにも見えた。
でも、子供たちの笑顔は失われていない。

ニカラグアは経済状況が悪いことは事前に知っていた。
また治安についてもよい話を聞いていなかった。
だから、怖いイメージを持っていて、入国するのに緊張したくらいだった。
しかし、帰る頃には、また訪れたいと思った。
この国には、僕達が知らなければならない「現実」があるし、そこには
希望もある。
自分ができること、するべきことを考えるのに、今回の訪問はとても
有意義だったと思う。
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中米の旅 〜 その5 サンホセ市内

バスが到着すると、アメリカ人3人組とお別れして、タクシーを拾った。
まずは、午後のモンテベルデ行きのバスチケットを買っておきたかったからだ。
タクシーで移動したのはたったの6ブロックだったけど、初めてでしかも
荷物を担いで歩くのには、ちょっと厳しそうなところだった。

モンテベルデ行きのバス停は、他の行き先のバスも集まっている。
「チケット」の文字を見つけて行った最初の場所は、違う行き先だった。
そのチケット売り場の人が、モンテベルデ行きのバス停をスペイン語と
身振りで教えてくれた。
しかし、またしても迷ってしまう・・・。
もう一度、聞きに行くと、その場所まで案内してくれた。
バスで隠れてその場所が見えなかったんだ!なるほど。ありがとう。

無事にチケットを購入し(購入に立ち会ったのはタクシードライバーだった)、
レストランに向かうことにした。
先ほどのタクシードライバーがいたので、お願いしようとしたけど、
「2000コロン」などと吹っかけてくる。
僕の事前勉強によれば、どんなに遠くても中心街だったら、1500
コロンがマックスのはず。
「メーターを使ってくれ」と言ったら、「ない」と言う。
交渉のしようがなかったので、諦めた。
そうすると、違うタクシードライバーが寄ってきた。
スペイン語で何を行っているかわからなかったので、金額を紙に書いて
もらった。すると「1500コロン」。
ここでも、「メーターを使ってくれ」と言った。
メーターは「マリア」というそうで、それだけは覚えていた。
しかし、こいつも「ない」と言う。
他にタクシーが見当たらなかったので、諦めてこのタクシーで移動する
ことにした。
タクシーに乗ってみると、本当にメーターがない。
多分、正規のタクシーじゃないんだろう。

タクシーで向かった先は、「Nuestra Tierra」。
友達から教えてもらったレストランで、コスタリカらしい食事をできる
ということだったので、ここにした。

この店に着いてみると、英語が通じる!
コスタリカ伝統の朝食ガジョピントと注文してみた。
さて、ガジョピントだけど、ご飯が油っぽい。かなり。
全部は食べられなかった。
しかも、時差ぼけに襲われ、目が回るし、気持ち悪いしで、結構辛い
時間帯だった。

この店ではかなりゆっくりして、その後何をするかを考えた。
目の前の国立博物館に行くか、中心部のコスタリカ中央銀行博物館に
行くかを考え、後者にした。
理由はせっかくだったら、中心部に行って見たかったから。

店を出て、歩いて博物館に向かった。
10分くらいで着き、荷物を預けて見学を始めた。
この博物館では、コスタリカの歴史とそれにまつわるお金の歴史を勉強
することができる。
時間はたっぷりあったので、じっくりと見学した。
これからコスタリカを旅行するに当たって、よい勉強になったと思う。

2時間くらいゆっくりして、バス停に向かうことにした。
しかし、ここでピンチ。
流しのタクシーがなかなか捕まらない。
みんな客を乗せている。
バスに間に合うかちょっと不安になる。
ちょうどそのとき、タクシーが人を降ろしているのを発見。
急いで駆け寄り、乗らしてもらった。
いやあ、うまく捕まえられて良かった。
その先は渋滞が酷かったから、あのまま捕まえられなかったら、結構
やばかったかも。
今回はちゃんとメーターを使ってもらい、840コロン。
やっぱりさっきはぼられた。
(続く)
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2007年12月22日

中米の旅 〜 その4 サンホセへ

出口を出ると、タクシードライバーの強烈な客引きが待っていた。
ちょっとはタクシー乗ろうかなあという気持ちもあったけど、一気に失せた。

とりあえず、翌週のニカラグアへのフライトのリコンファームをした。
ただ、あるタクシードライバーにロックオンされて、やたらと付きまとわれた。
リコンファームが終わって、外に出るとまたそいつがいる。
奴「サンホセの郊外も案内するよ」
僕「市内にはバスで行きますので」
奴「市内はどこまでいくの?」
僕「バス停まで」
奴「どこのバス停?」
僕「モンテベルデへのバス停」
奴「そのバス停は空港からのバス停と離れているよ」
僕「知っている」
奴「△×■・・・・(セールストーク)」
僕「ところで、バス停はどこ?」
奴「(明らかに機嫌悪くして)左の方に歩いていけばあるよ」
僕「ありがとう」

やっと客引きを振り払ったが、バス停はすぐに見つからない。
迷っているとTACA航空の人が教えてくれた。
スペイン語オンリーだったから、大変だったけど。
エジプトでもそうだったけど、英語できる奴は怪しいものが多いのは
共通しているようだ。

さて、空港から市内へのバス。
どれに乗っていいのか非常に分かりにくい。
「アラフエラ−サンホセ」という表示になっているバスに乗ればいいと
いうのは、地球の歩き方で勉強していた。
しかし、「サンホセ−アラフエラ」という表示まで併記されているバスが
やってきた。
どっちが本当なんだろう。
一緒にバスを待っていた、アメリカ人と一緒に運転手に「サンホセ?」と
聞いてみた。
「Si」と言っているので、僕達はバスに乗り込んだ。
少なくとも入国したばかりの人間には分かりにくい。

市内までは30分弱。
普通の路線バスだから、途中でも乗り降りが結構多い。
バスの中では、先ほどのアメリカ人3人組と話をしていた。
彼らはコスタリカ2回目だそうで、サンホセに1泊した後、ビーチに
向かうと言っていた。
そのうちに一人が日本に来たことがあるそうで、
「郵便局はどこですか?」という日本語を披露してくれた。
国際キャッシュカードを使えるのは、以前は郵便局だけだったからかなあ。
意外な日本語を聞いて、ちょっとリラックスできた。
(続く)
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2007年12月21日

中米の旅 〜 その3 コスタリカ到着

飛行機が出発する頃、日付が変わってました。

2007年12月8日(土)

飛行機が出発したのは、ロサンゼルスで0時30分。
目的地のコスタリカ、サンホセは2時間の時差があるから2時30分。
真夜中だ。
なのに、出発してしばらくして夕食の時間。
寝られない。
しかも、ロサンゼルスから来たという隣の人は、寝相は悪いし、トイレに
行きたがるし、話しかけてくるしで、僕が寝る余裕はない。
飛行機が到着して、「よく眠れた?」と声を掛けられたけど、「このやろう」
と思いながら、「Yes」と言ったよ。

サンホセに到着したのは、予定より2時間ほど遅れた8時半頃。
バスでゲートまで移動した。
空港の風景は、山に囲まれたなかなか良いものだった。
朝だということもあるかもしれないけど、かなり涼しい。

この国の入国審査はあっという間だった。
質問もなし。ただ、スタンプを押してもらっただけ。
なぜかスタンプは逆さまに押されたけどね。

ATMで現金を下ろして、荷物受け取りへ。
荷物は今までにないくらい、あっという間に出てきた。
Priorityタグをつけても、こんな早く出てこないというくらい早く出てきた。

このあと税関に向かったのだけど、ここで引っかかった。
X線に荷物を通すのだけど、呼び止められた。
ちょっと隅っこに連れて行かれて、荷物を開けさせられる。
日本酒や味噌、もちが引っかかったのかと、ちょっと焦る。
しかも、この税関の人、英語しゃべらないんだよね。
このとき、味噌の匂いがもれていることを発見。
潰れてしまっていたようだ。
荷物検査の結果、特にとがめられず、解放された。
しかし、他の乗客はこんな検査受けていない。
僕だけだ。そんなに怪しいのかなあ。
不安を抱えて、コスタリカに入国した。
(続く)
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2007年12月20日

中米の旅 〜 その2 ロサンゼルス国際空港

飛行機の中は寒かった。
手荷物の中にフリースを入れておいて助かった。
いくらブランケットがあったって、あれは寒いよ。

飛行機の中では、機内食の組み合わせが印象的だった。
カツ丼とすしとサラダとパンとケーキ。ありえない。
しかも、ケーキ甘すぎ。どういうセンスをしているのだろう。
呆れてしまい、眠気も襲ってきたので、このまま寝てしまった。

ロサンゼルスには予定よりも早く到着。
しかし、ゲートが空いていないとのことで、暫く待たされる。
結局ゲートに到着したのは、ほぼ予定通りの時刻。
ロサンゼルスの空港はかなり混雑しているようだ。

入国審査はそんなに待たずに終わり、税関チェックを受けた。
乗り継ぎだと言ったら、あっさりと通してくれた。順調だ。
再び荷物をチェックインして、出国のセキュリティチェック。
入国して即出国。
この手続きはバカバカしいと思う。

ちなみに、ロサンゼルス到着は9時40分。
次の僕の飛行機は23時発。
とてもとても長い時間が待っていた。

そこで、再びラウンジへ。
成田でロサンゼルスのラウンジ入場券をもらっておいたので、迷いなく
入った。
ところが、アメリカのラウンジは、食事が有料。
僕の計画では昼、夜をここで無料で食べることになっていたが、頓挫した。
無料で食べれる物は、クッキーとプルーンくらい。
もう、クッキーとプルーン、コーヒー、紅茶で凌ぐことにした。

このラウンジがまた寒かった。
外は15度くらいだというのに冷房をつけている。
この寒さとプルーンに僕の腹は機嫌を悪くしてしまった。
まさかロサンゼルスで下痢に苦しむとは思わなかった。

胃腸薬で抑えて、成田で買った小説を読んだ。
あまりにも時間がたっぷりあったので、村上春樹の方は終わってしまい、
宮部みゆきの方もあと数十ページというところまで読んでしまった。
本当に時間がありあまっていたのだ。

そのほか、持っていた書類とかにも目を通していたけど、それでもまだ
時間はたっぷりあった。

ラウンジに入って、12時間近く経って、搭乗時間が近くなったので、
ゲートに向かった。
40番ゲートだったのだけど、同じゲートの前の便が遅れた。
そして、自動的に僕の便も遅れることになった。
結局予定より1時間半遅れで出発した。
いったい、僕はロサンゼルスで何をしたんだろう。
待って、腹壊して、本読んで、さらに待って・・・。
まあ、今思えば、このくらいの遅れはかわいいものだったかもしれない。
(続く)
posted by nob at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007中米の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中米の旅 〜 その1 出発

2007年12月7日(金)

成田空港には出発の2時間半くらい前に着いた。
ちょっと時間が早かったため、アメリカン航空のチェックインカウンターは
2つしか開いていない。
まあ、待っている人も大していないから問題ないと最初は思った。
しかし、ファーストクラスやビジネスクラスが優先。
そういう人たちはちょくちょくやってきて、エコノミーはなかなか列が
短くならない。むしろ、列は長くなる一方。
結局、出発2時間前になってカウンターの数が増えて、やっと僕の番が
やってきた。

実は、こういう「待つこと」。今回の僕の旅の特徴。
でも、このときは、まさかこれが序章になるとは思っていなかった。

それはさておき、チェックインが終わり、買い物、両替をして、出国手続き。
しかし、出国手続きをしてから、文庫本を買い忘れたことに気づく。
旅に文庫本は欠かせないから、サテライト館にまで足を運んで購入。
今回買ったのは、村上春樹の「東京奇譚集」と宮部みゆきの「返事はいらない」。
これで、やり残したことはないはず。

まだ搭乗時間までは1時間以上あったので、アメリカン航空のラウンジへ。
今回、オンラインで航空券を購入した。そしたら、特典で往路のラウンジ
利用サービスがついてきたのだ。
すしロールを食べながら、スペイン語の勉強。
置いてある食事もそうだけど、利用者はアメリカ人ばかり。
聞えてくる会話も英語。行儀の悪さもアメリカ。
もう日本を離れてしまったかのような気がした。
このラウンジ、できたばかりのようで、置いてある家具類は新しいもの
ばかり。なかなか良いところだった。
(都度利用するときは50ドル必要)

搭乗時間になり、ゲートに向かった。
機内に入ると、僕の座席の隣は誰もいなかった。ラッキー!
ところが、エコノミーの席に先ほど、ビジネスの列に並んでいた外人を
発見。奴のずうずうしさも腹立たしいが、外人だったら許す航空会社も
腹立たしい。

飛行機はロサンゼルスに向けて、予定通り旅立った。
(続く)
posted by nob at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 2007中米の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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